›May 16, 2006

陽朔到着/陽朔1

2002年9月21日 広西チワン族自治区・陽朔

陽朔碼頭

ようやく目的地の「陽朔」に着きました。
ここも外国人の船とは違うところで降りるようです(街から遠い・・・)

この頃は日本のツアーのパンフレットには「陽朔」は掲載されてなかったと思います。
私もただ「漓江を下ったところで一泊する」ぐらいの認識しかありませんでした。

当時は日本からのツアーのほとんどは,陽朔の街に一瞬立ち寄りタッチアップして桂林や世外桃源方向へ戻るのがほとんどだったようで,現地の方の話ではそれが不思議でならないとの事でした。
(西洋人は長期滞在するのに)

陽朔露店

碼頭から街までけっこう歩きます。で,当然露店があるわけで。
それにしても結構のどかです。
(結局日本人に遭遇したのは「冠岩」が最後でした)

陽朔探検隊

くどいようですが,ガイド氏がいなくなったので,皆で交代で旗を持ちます。
順番の廻ってきた人はみな大喜び(笑)

旗を持っている男の子は広州市内の17歳,隣にいるのは広東省のはずれに住む彼の従兄,彼らがここで私にと「短剣」のレプリカを買ってプレゼントしてくれました。。。飛行機乗られへん〜(´・ω・`)

裏通り

またこんなの撮ってるし。

まだ街は見えず。。。前述の2人と一緒に来ていた彼らの伯父たちはカートに乗って先に去ってゆきました(冷)

/Guilin〜Guangzhou(70)

Comments

 実はまだ桂林未踏の地です。こちらにいるうちに
行きたいなとは思っているのですが。。。
欧米人は陽朔に長期滞在するのですか。以前TVで
桂林特集(N●Kかしら?)を見た時に、英語の通じる
カフェなども増えている・・と言ってたのですが、
それって陽朔なんでしょうかね。。?

Posted by: Lychee at May 16, 2006 02:11 AM

Lycheeさま

私が行った時は西洋人と中国人しかいませんでした(爆)
現在は,ショーも出来たし,中国人と日本人が増えたのではないでしょうか。

英語の通じるカフェ,ありそうですが,どこまでを通じると定義するかによりますね(笑)
洋人街を歩いてると,英語で「ガイド要りませんか?」と若い女の子が声をかけてきましたが,断っても「あ,ごめんなさい。ツアーなんですね」と笑顔を返してくれて,カンジ良かったです。

ある露店では,初老の米国人がケータイストラップを買うのに「1元の攻防」を繰り広げてましたが,店のおばちゃんの発する言葉は,
「ミスター」「ノーノー」
の二語だけでした( ゚Д゚)!

あとでカフェもネタにしますが,苗族のガイドさんは英語通じましたよ。

こう書くと私が英語が堪能のような誤解を与えますが,実際は(略

(゚∠゚)エイゴムズカスィ

Posted by: れいるどっぐ at May 16, 2006 03:10 AM

>それって陽朔なんでしょうかね。。?

いつも8割寝てる状態で書いてるので,あとで読み返すと自分の書いた文章とは思えません・・・

見事に支離滅裂なリプライでしたね。
ご賢察通り「陽朔」のことです。
洋人街としてましては,「大理」と並び称されるようです。
(このブログ,大理編到達は3年後ぐらいかな?)

Posted by: れいるどっぐ at May 19, 2006 05:05 PM