2005年1月2日 廣州市東山区環市東路
くどくてすいません。また「渝城味都」にやってきました。
ブログ上では1年経ってますが,実際は6日しか経過してません(痛)
今回は前回と重複した料理は省いております・・・あたりまえか。
料理名を詳しく調べてからエントリしようと思って頑張りましたが,三週間かけても完成しないので,麗によってアバウトです。
例えば英語名はわかったのに,引越しの荷物が整理できていないので,英英辞典が見つからなくて(普通の辞書には載ってない単語満載)
よく考えたら,他人のくったもの見せられても困るだろうし,誰もそこまで求めてないかと(´・ω・`)ガッカリ・・・
とりあえず御紹介。
「明火鱸魚」(38元)
「鱸魚」とは「スズキ」のことのようです。
いかにも川菜という感じの色ですね。
「麻婆豆腐」(15元)
「コンニャクと豚の腸炒め」
「凉拌窩笋絲」(10元)
新鮮な竹の子の芽(芯の部分)。
「小葱拌豆腐」(8元)
「干●四季豆」(12元)
"dry fried string bean"とありますので,「さや豆炒め」とでもいうのでしょうか。
「川北凉粉」(10元)
酸辣粉(6元)
この二つはひょっとしたら逆だったかも((;゚Д゚)
お会計は11人で488元(一人当たり約562円)。他にもいっぱい料理取ってますので,参考にはなりませんが。
/Guangzhou/panyu2004-5(93)
2006年5月1日 雲南省麗江・玉龍雪山風景名勝区
玉龍雪山風景区のいくつかのポイントのうち,けっこうメジャーな「云杉坪(雲杉坪)」というポイントへ向かいました。リフトで登るのですが,当然朝は「激パ」になって1〜3時間の待ち時間が発生するそうです。
で,ちょうどコレぐらいの時間(14時過ぎでした)が狙い目となるわけです。
「玉龍雪山はオレが守る!」の絵。
「玉龍雪山国家重点風景名勝区」の入口。ゲートにもしっかり「懸魚」が。
(「懸魚」については後日特集をば)
実は既に少し頭痛が〜自信があったので,酸素ボンベ(15元)は用意してませんでした。
転ばぬ先のなんとやら,で同好の方に高山病の薬をわけていただきました。
アメリカ製リフト(往復40元)で高原にのぼります。
高低差は約300mですが,延長は約1km。
上着を持ってたほうが安心です。
/Yunnan2006(3)
2002年9月21日 広西チワン族自治区・陽朔
「・・・・」。
ありがちです。
西街はこんな感じです。さすが洋人街だけあって,欧米人が多かったです。
私的にはそれどころではなく,ただ「コーヒーが飲める!」と狂喜しておりました。
やはり夜のほうが風情があるようで・・・それは後ほど。
こちらは陽朔のバスターミナル付近のロータリー。
遠くに奇岩を臨み,いい感じ・・・
・・・どころではなくて,実際は奇岩のスキマに街があるような雰囲気です。
ここまででも相当歩いてますが,さらに宿は遠かった(続)
/Guilin〜Guangzhou(71)
2006年5月1日 雲南省麗江・古城区香格里大道
食事のために古城近くへ移動しました。
テレ側で撮ると,いっそう雪山が迫ってみえます。
けっこう普通のカッコウした人たちばかりでしたが,一瞬「イイカンジ」の方々が通りかかられたので,撮影。
麗江界隈はポリスボックスやこの交通警官用ボックスも散見されました。
広州市内にも欲しいところです。
この2カットは下の「泰鑫酒店」の前で撮影しました。
泰鑫酒店/TAIXIN HOTEL(麗江古城区香格里大道)
このホテル(一応,三星級ですが)の「食堂」で昼食・・・
中国国内ツアーは経験済みだったので,「スープ付き,おかず8品保証」というのには馴れておりましたが・・・ふと思ったのは
「普通の人日本人ツアーの人らはどんなもん食べてるんやろ?」
でした。
右下のちょっと「東坡肉(dongpo rou)」ちっくな豚肉は似て非なるモノです。
かなり脂分がぁ(´・ω・‘)
のちに料理の内容など問題とならないようなことが起こるのですが,それは後述。
いずれにせよ,雲南省編では料理関係はあっさり流します(キッパリ)。
さて,食後はいきなり『玉龍雪山』へ。
/Yunnan2006(2)
2006年5月1日 雲南省麗江・麗江空港
ここからは今回初めて訪問した雲南省の私的備忘録です。
一行は中国人3人(うち2人が雲南旅行経験者)+日本人が私ともう御一方(おひとかた)。
この方は御在職中に中国を幾度も訪問され,さらに大連に留学のご経験もあり,現在も中国語会話教室で中国語を学んでおられるので,中国語がダメなのは私だけということです(猛省)。
まずは空港ですが,こんなカンジです。
私の既訪の空港(中国語圏)は「香港啓徳国際空港」「広州旧・白云国際空港」「〃新・白云国際空港」「海口美蘭空港」「桂林両江国際空港」だけだったのですが,この中ではイチバン小さいような気が致しました。
外観は屋根が特徴的・・・私見ですがシンメトリーにこだわっているような気がしました。
空港前の迎えの人たちの中にも,ナシ族の民族衣装を着たガイドさんが多く,撮影したかったのですが,残念ながら我々のガイドさん(ナシ族女性)はジーンズでした・・・_| ̄|○
移動の車窓より・・・手前がなんとなく観光施設(あるいは土産モノ屋)ぽかったけど,「ナシ族の集落」と信じることに決定。
続いて見えてきたのは,雲南の高山と田園風景。
数日の滞在で,民族衣装とともに,あとでしっかり見飽きることにすっかり馴染みました。
当初,ここから「十八湾」(後述)にいく予定でしたが,予想通り急に予定が変わり,「玉龍雪山」方面に行くことに。
その前に市内で食事ですが,これも予想にたがわず・・・(続)
/Yunnan2006(1)
2002年9月21日 広西チワン族自治区・陽朔
ようやく目的地の「陽朔」に着きました。
ここも外国人の船とは違うところで降りるようです(街から遠い・・・)
この頃は日本のツアーのパンフレットには「陽朔」は掲載されてなかったと思います。
私もただ「漓江を下ったところで一泊する」ぐらいの認識しかありませんでした。
当時は日本からのツアーのほとんどは,陽朔の街に一瞬立ち寄りタッチアップして桂林や世外桃源方向へ戻るのがほとんどだったようで,現地の方の話ではそれが不思議でならないとの事でした。
(西洋人は長期滞在するのに)
碼頭から街までけっこう歩きます。で,当然露店があるわけで。
それにしても結構のどかです。
(結局日本人に遭遇したのは「冠岩」が最後でした)
くどいようですが,ガイド氏がいなくなったので,皆で交代で旗を持ちます。
順番の廻ってきた人はみな大喜び(笑)
旗を持っている男の子は広州市内の17歳,隣にいるのは広東省のはずれに住む彼の従兄,彼らがここで私にと「短剣」のレプリカを買ってプレゼントしてくれました。。。飛行機乗られへん〜(´・ω・`)
またこんなの撮ってるし。
まだ街は見えず。。。前述の2人と一緒に来ていた彼らの伯父たちはカートに乗って先に去ってゆきました(冷)
/Guilin〜Guangzhou(70)
2002年9月21日 広西チワン族自治区・漓江下り
1年以上中断していた桂林・陽朔シリーズを復活してみました。
こちらは漓江下りのハイライトのひとつ「九馬画山」です。
・・・といってもその時は全然知らなくて,周囲の人から(くどいようですが外人は私だけ),あれ撮っとけ!といわれ(た気がして)あわてて撮った次第です。
(くどいようですが,ガイドは乗ってこなかったし。)
ほとんど私しかいないデッキでしたが,このようなハイライトが近づいてくると,みな一斉に上がってきて,我先に記念撮影するのでした。
ここに九頭の馬がいるとか。
ちょっとトリミングしたら確かに「馬」ですね。
でも独り別行動でこんな画像撮ってたりして。
すれ違う船の人,たいていこんなふうに手を振ってくれます。
名所よりこんな風景に萌える私。
漓江の風景,半分は中で寝てたわりにはたくさん撮ったのですが,みなさま,アチコチでご覧になって食傷ぎみかと思われますので,次回はあっさり「陽朔」編に参りたいと存じます。
/Guilin〜Guangzhou(69)
雲南から戻って参りました。
エピソードには事欠かない旅でしたが,画像蒐集は思うようにいかず・・・特に早朝・夜間等は三脚を持っていくのを惜しんだツケがまわってきました。(いつものことですが)
このブログの数少ない読者の方から,「時系列順にすすめているのは良いぞ」とお褒めをいただいた事があるのですが,どうもタイムラグ(例えば紹介前にレストランが閉店したりして)が生じ,さらに記憶も劣化して,自分的備忘録としての価値すら見出せなくなってきました。
で,これからは時系列に捉われず,いくつかのカテゴリを並行してすすめて行こうかな,と思います。
・・・自分が飽きないように,というのも理由のひとつですが。
時間や地域に捉われない,または比較するようなネタも生まれてくるかもしれません。
もちろん,基本は「広州」です。
これからフリープランで旅行される方や,急な赴任で不安を抱えられてる方(やそのご家族)の一助になれば幸いです。
料理の味などはできるだけ私の主観を排してきましたが,「●●が旨かった」等はこれから記していこうと思います。(寡黙な時は「それなり」だったとご想像ください)
尚,広州やその他の中国語圏の情報につきましては,右側サイドバーの珠玉リンク集を是非ご参考になさってください。
では今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。